高校、中学校、小学校の卒業式が終わり、今の時期は幼稚園はこども園、保育園などの卒園式の時期だと思います。
未就学児にとって、初めての学校🏫 日本では義務教育の始まりですね!
そんな小学校入学を控えた未就学児に贈りたい絵本はこちら!
『David Goes to School.』 作・絵:デイビッド・シャノン
『デイビッドがっこうへいく』 訳:小川 仁央
やんちゃなデイビッド。家では怒られてばかりのデイビッド。はたして、学校では・・・!?
この本はシリーズ化されている本です。私も大好きな本!もう、このやんちゃなデイビッドが可愛くて!このシリーズの第一作目はこの作者の自伝的絵本になっています。ということは、この学校の話も作者の経験がたくさん織り込まれているのでしょう。
以前のブログで一作目を紹介しています。
デイビッドは学校に行くも、遅刻から始まり、授業中にガムを噛むわ、友達にちょっかいかけるわ、大喧嘩するわの相変わらずです。しまいには、机にクレヨンで落書きする始末。ついに堪忍袋が切れた先生は居残り掃除を命じます。
ピカピカに机を磨いて掃除をしたデイビッドは、先生に「GOOD JOB, DAVID!」と褒めてもらい、星のシールをもらって、ニコニコ顔で帰ります。
デイビッドのやんちゃぶり、よく見ると悪意はないんです。
「David, raise your hand! 手を挙げなさい!」と先生から注意されているところは、デイビッドは問題の答えが分かって、嬉しくて思わずに先に発言しちゃったんだろうなというページだったり、
「PAY ATTENTION! ちゃんと前見なさい!」と言われている時は、窓の外に恐竜の形に見える雲を見つけて心を奪われているページだったり、
ランチタイムのカフェテリアで、食べ物を投げ合って喧嘩しているページだったりします。
これはきっと、美味しそうな給食だけしか視界に入っていないデイビッド。列に並ばず、給食をもらいに行き、友達から怒られて喧嘩に発展したのかな?
机の落書きも、ふざけて描いた落書きではなく、ちゃんと一生懸命描いた絵なんです。そしてうまい!(さすが、将来の絵本作家になるだけある!)
そして居残り掃除では、一生懸命磨いたのか、机はピッカピカに原状回復しました!
憎めないデイビッドの人柄。それはクラスメイトも感じているようで、帰り道では、迷惑をかけて困らせていた隣の席の女の子がデイビッドの帰りを嬉しそうに待っている場面で終わります。この本が良いのは最後にほっこりするところ!
《教育現場で使う英語のフレーズ》
この本で特筆したいのは、先生が生徒に対してよく使うフレーズがあります。
- No yelling. No pushing. No running.:騒がない、押さない、走らない。
No +動詞ingはよく使います。例えば、避難訓練で使う「おはしも:押さない、走らない、喋らない、戻らない」と似たような表現です。注意事項を子供達と一緒に確認するような時に使います。 - Keep your hands to yourself.:手は自分の横!
このフレーズ、何万回使ったことか!ちょっかいを出したり、子ども同士でちょっとした小競り合いなどしてる時にも使います。「Hands to yourself!」だけの時もあります。 - That’s it, Mister!:いい加減にしなさい、ミスター!
もう、これを言われたら終わりです。先生の怒りはmaxに達しています。Mister やMissの敬称を使う時はその丁寧さに反比例して怒っている時です。これは大人同士でも使うことがあります。アメリカ旅行をして電車に乗っていた時に、赤ちゃんが泣いていました。それに対して高齢男性がお母さんに文句を言った時に、お母さんが「Excuse me, Mister!」と言ってそのあとは高速スピードの英語でブチギレながら反論していました。私が聞き取れたのは冒頭の部分だけ。母強し!👏🏻
私は一年前の今頃、年長の担任をしていて、この本を子ども達に読みました。普通のこども園でしたが、英語で読み聞かせをしました。
分かりやすい絵で大体の内容をつかめるので、子ども達は大爆笑!「デイビッド何やってるの〜!」とゲラゲラ!
でも一番笑っていたのは、クラスに1人や2人は必ずいるようなデイビッドのような子ではなく、いわゆる手のかからないような子どもたち。きっと、デイビッドのこと羨ましよね、こんなふうに感情を爆発させてみたいよね。
私は年長担任の一年間で感じた一番の葛藤は、手のかからない子どもに手をかけられないことでした。物理的に時間と体が足りません。いつも、みてるよ、気にかけてるよ!という信号は送っているつもりですが、圧倒的に一対一で過ごす物理的時間が足りないのです。
私は3人兄弟の真ん中で、両親曰く「手のかからない子ども」だったそうです。
私の弟は、駄々をこねるとお店でも道路の真ん中でも、大の字になって泣きわめいていたし、私の母は「お子さん何人いるの?」の質問に「女の子二人と猿一匹🐒います。」と返答していました。小学校に入ると、なぜか選挙演説に憧れた弟は、自宅の2階の窓から大声で選挙演説をし、サインを書いた落書き帳の紙を窓からばら撒きました。(後で家族総出で紙を回収しました!)今思い出すと、デイビッド以上に破天荒な遊びですね・・・。それでいて人懐っこく甘え上手で、親戚の家ではいつも誰かの膝の上に座ってニコニコしてとても可愛がられていました。
そんな弟を羨ましいとか思った記憶はありませんでした。しかし、自分が保育士として働いてみて、手のかからない子達をみた時に、幼少の自分と重ね、デイビッドのような弟が羨ましかったのではないかと初めて気付きました。
なので、いつも手がかからない子にも同じように手をかけていきたい!と強く思っていました。でも現実は手をかけてあげられる時間を十分に持てないまま卒園を迎えてしまいました。だからあの時この本をクラスで読んだのも私なりのメッセージがありました。特に手のかからなかった子どもたちに向けて・・・。
「デイビッドみたいになってもいいんだよ。先生達は受け止めるから!」
伝わったかどうかは分かりませんが、大笑いしてくれたから、そういう子ども達の感情を少しは解放出来たのかなとは思います。
さて、このブログ、弟が見ないことを切に願います。
そんな彼は今、デイビッドらしさは全くなく、穏やかにのんびり暮らしています。めでたしめでたし。
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