この男の子達の影からどんな子達を想像しますか?
日本人の男の子達? アメリカ人の男の子達🇺🇸?アメリカ人だとしたらアフリカ系アメリカ人の男の子達?ラテン系アメリカ人?ヨーロッパ系白人種?
当たり前ですが、世界には色んな人種の人たちがいます。そして、その色々な人種の人達が混ざり合ってさまざまなルーツの人種を持つ人たちがいます。
そして、当たり前ですが、日本は島国で黄色人種。ほとんどの人が黒い髪で同じような肌の色をしています。
国際化が進む中で昔の感覚のままでいることの危険性
数年前にインターナショナルスクールで働いていた時に同僚に「pale orangeの画用紙ってある?」と聞かれて、「pale orange?」と思い何色か検討がつきませんでした。同僚は続けて「You know, like peach, skin tone.」みたいな補足をしてくれて、やっと「肌色か!」と思い、ハッとしました。その同僚はアフリカ系アメリカ人でした。
私は何が、国際感覚だ!こういうところだぞっ💢と自分に怒りを覚えました。英語よりも何よりもこういう感覚を何よりも学ぶべきところを!慌てて、子ども達が持っている日本製の色鉛筆を見てみると「はだいろ」と表記されたものはなく「うすだいだい」などと表記されていました。日本では2000年ごろから文房具業界では肌色の表記はしなくなったそうです。
日本人は地黒や色白の少しの差があるくらいで、肌の色はほとんどの人が一緒です。人物を描く時も迷わず肌色一択。色鉛筆の中でもピンクの次に減りが早い色の一つです。
私は子どもの頃から色鉛筆も、クレヨンも、折り紙の色も肌色という名称で育ってきました。差別的要素はなくても、いざ違う文化に行ってみると、それで不快な思いをする人はいます。
また、日本にいても2、30年前と比べ、外国のルーツを持った人たちを沢山みるようになりました。インターナショナルスクールのような場所でなくても、普通の保育園や公立の学校でも。
ステレオタイプを作ってしまう?
それに、そもそも絵を描いたり、物を作ったりする、クリエイティブな時間に肌色は一色だけってなんともつまらないですよね。忠実に再現するなら日本人の中でも地黒の人や色白の人で大分違うはずです。
子どものお絵描きも、ゾウは灰色、クマは茶色、うさぎはピンクというのもありきたりでつまらないなと思います。(つまらなくさせているのは大人だと思っています。)子どもには画用紙の上でいろんな想像力と創造力を膨らませて、ハジけて🎇欲しいなと思っています。そしてそれを支えるのは大人だと思います。
保育士の中にも色々な保育観があります。「ゾウってその色だっけ〜?」と指摘しているのを見たことがあります。色々な思いがあっての声掛けですから、私はその先生の保育観を否定したくはありません。だけど、赤い象を描く子どもが目の前にいたとしたら、私はその子の想像の世界に一緒に浸って楽しみたいなと思っています。
話を肌の色に戻すと、カナダで幼児教育を勉強していた頃は、本や画像もなるべくさまざまな人種が載っているものを選ぶようにと言われた記憶があります。カナダは移民が多く、アジア👧🏻からメキシコ👦🏽、本当に多くの人種の人たちが暮らしています。
私は経験がないのですが、日本人の男の子の友達は、bananaやyellowと呼ばれた苦い経験もあるそうです。どこに行っても最低な人たちはいるものですが、悪気なく肌色なんて表現をしていたらとても恥ずかしい行為ですね。
カナダのドラッグストアの化粧品売り場にはバリエーション豊かなファンデーションの色が並んでいました。日本だとプチプラのファンデーションの色は3択ぐらいしかないので、ありすぎてどれが自分の色か分からなくなってしまうほどでした。
一度、クリニークというメーカーでファンデーションを買った時に、髪の色、髪質、瞳の色、日焼けの度合い、肌の色など細かくカウンセリングを受けてから色味を選んでもらったことがありました。
また、色についての話ですが、幼児教育の授業で先生に言われて印象に残っているのは、私たち大人が子どもにイメージを植えつけてはいけないことです。女の子はピンク👧🏻、男の子はブルー🧒🏼などの色の配色に気をつけなさいと言われました。
例えば、トイレのスリッパはピンクとブルーだけ。早くトイレに行きたくても空きのピンクのスリッパがないから入り口でトイレを我慢する女の子がいました。「先生は同じ女の子だけど水色も好きな色だよー」と履いてみせますが、やはりピンクじゃないと嫌なようです。
ちなみに、私の甥は保育園時代は好んでピンクのスリッパを履いていたようでした。保育園送迎担当の私の母が「ピンクのスリッパしか履かないのよ〜」と少し困り気味で言っていたのを思い出します。笑 今は受験勉強に励む、逞しい18歳の青年に育ちました!
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